2019/01/28

スウィート・ドリームス・プレスからのお知らせ


 SNSにも投稿していたのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、先の1月1日に私の妻が息を引き取りました。東京のお正月らしい透き通るような晴天で、窓から外を見下ろすと初売りを待つ人たちが列をなしている、そんな穏やかな元日の午前中でした。彼女はスウィート・ドリームス・プレスから出してきたCDや書籍、フライヤーなど、そのほとんどを装幀したグラフィック・デザイナーでした。このレーベルが出してきたものに特別な肉体を与えてくれたのは、ほかならぬ彼女のおかげです。最近はインディペンデント・レーベルのことをブティック・レーベルと呼ぶそうですが、そのような趣味の良い路地を通り過ぎ、ひとつひとつの作品を大きな広場で手にとってもらえるものにしてくれたのは、30年間、プロのデザイナーを生業にしてきた彼女の矜持と手腕があってこそだったと思います。音楽は好きでしたが、とりたててマニアックなリスナーというわけではなかったので、だからこそそれぞれの作品はいかにも「それ風」のものにはなりませんでした。そのため「あまりインディ・レーベルっぽくない」と言われることもありましたが、それは僕らにとっては褒め言葉でした。

 昨年の3月に小脳の脳幹部分に腫瘍が見つかり、4月に摘出手術を受けると、膠芽種という悪性脳腫瘍だということがわかりました。平均生存期間は約1年、そういった情報はネットで検索すればいくつも得られましたが、彼女がどこまで調べていたかはわかりません。腫瘍それ自体よりも、むしろ妻を悩ませたのは手術前後から発現した身体の失調でした。右耳が聞こえなくなり、ついで右目と口角の右側を閉じることができなくなり、さらには身体の右側が震えて自由が効かず車椅子の生活に、また、食べたり飲んだりすることが大好きな彼女だっただけに口から飲み込めなくなって経管栄養になったことは、闘病する気持ちを削ぐ大きな一因だったことは想像に難くありません。それでも、毎日の生活の中でホッとさせてくれたり笑わせてくれたのは、最後まで気丈にふるまっていた彼女の方でした。

 なにか面白い話をしてと頼まれてもはぐらかし、髪をゴムでうまく束ねることもできず、不明瞭になった妻の言葉を解せないことも度々ありました。亡くなって4週間が過ぎた今でも、私は自分の頼りなさや面白みのなさ、勘の悪さ、狭量さ、冷たさを呪いながら、涙を流すこともできずに過ごしています。自営業なのを幸いに、ほぼ毎日、最期まで彼女と一緒に過ごせましたが、果たして本当に寄り添えたのだろうか。私が買い物や食事で外出している間、ベッドの上でひとり、彼女がなにを考えながら不自由な目で天井を見つめていたのか、今、私の胸を去来するのはそのことばかりです。

 それでも、10か月の闘病の間、大きな励ましやなぐさめとなったのは友人、知人たちのおかげでした。病院や自宅までお見舞いに訪れてくれた人たちや、通院の際にこころよく車で送迎してくれた仲間たち、そして9月に町田の簗田寺で開催した「eleven 〜スウィート・ドリームスの11〜」というイベントも、もともとは妻の治療費のためと有志の方にご提案いただいたものでした。妻が自分の病気を公表することを固辞したため、11という半端な数の周年イベントとなりましたが、出演者、スタッフの方々はじめお越しいただいた皆さん、本当にありがとうございました。ほかにもイ・ランが韓国ソウルでのコンサートの収益を寄付してくれ、タラ・ジェイン・オニールは仲間の音楽家に呼びかけて『Sweet』というコンピレーション・アルバムを、また、ブックギャラリーポポタムの大林さんには親しい美術作家とステッカー・セットをつくっていただき、みんなには本当にお世話になりました。皆さんがいなければ、彼女の最後の10か月はもっと苦しみに満ちた孤独なものになっていたと思います。そして、通夜/告別式に参列していただき、お供えをいただいた多くの人たちにも、この場を借りて心より御礼申し上げます。

 彼女がフリーランスになったときにつくった自慢のデスクはふたりが並んで座れる堂々としたものですが、今では椅子もなく、引っ越したままの状態で卓上も雑然としています。彼女の入院中、西調布に引っ越すまでこのデスクに並んでふたりで作業をしていたことを考えると、この10か月が不思議に思えますが、またこの机で仕事ができるようになるかどうか、今はまだわかりません。ひとりでできるのか、それとも誰かに協力を仰ぐのか、いずれにしても心細い再出発になりそうですが、11周年イベントに続き、年越しは無理かもしれないという医者の言葉に反して1月1日、それも午前11時15分に息を引き取ったことを考えると、彼女は意地になって私になにかを伝えてくれたような気もします。1からはじめること。そして、まずは恩返しから。彼女が最後まで心を砕いていたのはお見舞いへの返礼でした。

 最後になりましたが、東京女子医科大学病院の皆さま、調布東山病院と東山訪問看護ステーションの皆さまには、本当にお世話になりました。心から感謝しています。

 そしてカイちゃん、出会ってからの18年間どうもありがとう。そしてごめんなさい。あなたがいなくなってとても寂しいです。

福田順子(旧姓:甲斐)|駒澤装幀室
命日:平成三十一年一月一日 享年:満五十歳