2014/12/01

Interview with Sonny Smith(前編)


 うちに「Sunset」とロゴが印刷されたTシャツがある。2011年の夏にタラ・ジェイン・オニールと二階堂和美のアメリカ太平洋岸北西部ミニ・ツアーに同行したときに買ったもので、その途上のサンフランシスコで一晩泊めてもらったカイル・フィールド(リトル・ウィングス)の家の近所にあったモラスクっていうサーフ・ショップで買ったものだ。そのモラスクはカイルのアートを使ったTシャツもたくさんつくってるお店で、日本でも人気があるんじゃないかなきっと。とにかく以前取り扱ったことがあるカイル・フィールドのTシャツの風合いとか形がよかったなと覚えてたところ、タイミングよく連れてってくれたわけです。

 で、なんで「Sunset」かというと、その界隈の名前がサンセット地区というらしく(そのときタラは違うところに泊まっていたし、ニカさんとふたり何も知らされないままカイルに車で連れてこられたのでいまだに土地勘がない)、このTシャツのロゴはもともと古い絵葉書にあったものだったらしい。歩いてすぐのところにビーチ(ここにそのときの写真があります)や公園があって(あれゴールデン・ゲート・パークだったのか!)、そんなにお店がたくさんあるようなところじゃなかったけど、モラスクだけじゃなくてジェネラル・ストアっていうセレクト・ショップがあったり、ポツポツと洒落た店が散在する静かでいいところでした、ハイ。

何思う……目をつむるソニー・スミスからにじみ出るもの。

 で、そもそもなんでそんなことを思い出したかというと、ソニー・スミス2012年のスペイン・ツアー、現地のミュージシャンを雇って演奏したときのニュースに「ソニー&ザ・スパニアーズ(スペイン人たち)あらためソニー&ザ・カタラン&ザ・バスク(カタルーニャ人&バスク人)」というような言葉があったのを見て、ソニー&ザ・サンセッツの「サンセッツ」って「日没」を指すそれじゃなくて「サンセット地区住民」のことなのか! と、思ったわけでして。ただそれだけなんだけど、またひとつ彼らのことが身近になった気がしたのでした。

 ちなみに今回のツアー(東京公演の日程はこちら!)はドラマーにカタルーニャ人ドラマーのジョルディ・イリサール(ラ・エストレーリャ・デ・ダビド)が同行した、先述したソニー&ザ・カタランとしてのライブになる模様。組み合わせとしては何となくジョナサン・リッチマン&トミー・ラーキンスを思わせるような……、イヤハヤこれは楽しみダネ!

 というわけで、2〜3年前だったか秘密裏に『Sweet Dreams』第5号をつくり始めていたときに(予想通りその後頓挫……、すみません)、実はソニー・スミスのインタビューをしていたのでした。質問作成をお願いしたのは我らがミズ・アシュビーズ・ブラグメンツこと吉本栄さん。サンフランシスコのこと、ソニー・スミスのアート・プロジェクトのひとつである「100枚のレコード(100 Records)」のことなどを訊いてもらっています。そのときにはまさかソニー・スミスが来日して、そのうちの数公演を手伝うことになるとは夢にも思っていませんでしたが、良い機会ですしお蔵出ししようと思います。

 なお、この決して短くないインタビュー記事は、前編/後編に分け、前編はこのスウィート・ドリームス・プレスのサイトで、後編は日をあらためて今回の東京2公演に協力いただいているMonchicon!のサイトで掲載する予定です。インタビュー原稿はひとつのものですが、提示や補足の仕方や構成方法などはそれぞれで自由にしましょうかということにしていますので、なんとなーくそれぞれのカラーが出ていることと思います。そこもまた楽しんでいただければこれ幸い。それではソニー・スミスのインタビュー、その前編をどうぞ!

『ヒルストリート・ブルース』のテーマ

ソニー・スミスのインタビュー(前編)
Interview with Sonny Smith from Sonny & the Sunsets

質問作成:吉本栄

自分が負け犬であるっていう考えに取り憑かれてたんだね。
いつか一発逆転するっていう感覚が好きなんだ。
センチメンタルな戯言かもしれないけど。

●こんにちわ。ソニー・スミスさん。このメール・インタビューは『Sweet Dreams』という雑誌のためのもので、今回この雑誌は匿名性や架空といった言葉が持つイメージをキーワードにしたストレンジなテーマで作られるのですが、そこでぜひあなたにインタビューさせていただきたいと考えました。どうぞよろしくお願いします。まず、ブレイクダンスも得意でビリー・ジョエルビル・エヴァンス調ピアノ弾き語りも得意だったという子どものころの話を……。夢見がちな子供でしたか?
○僕はテレビ番組のテーマ曲に本当に夢中になってた。そんなとき『チアーズ』『ヒルストリート・ブルース』『Taxi』といった番組を知ってね。こういったドラマは全部僕の父さんが見ていたものなんだ。特に『ヒルストリート・ブルース』はお気に入りの曲だった。父さんと一緒に見てた。僕はとても若くて、小さすぎて番組の内容を理解するまでには至らなかったけど、とにかく曲が好きだったんだよね。

『チアーズ』:原題『Cheers』。ボストンにあるバー「チアーズ」を舞台にしたアメリカのシチュエーション・コメディ番組。1982年から1993年まで、計11シーズンに渡って放送された。
『ヒルストリート・ブルース』:原題『Hill Street Blues』。アメリカの架空の大都市の犯罪多発地区にある警察署を舞台にしたヒューマン・ドラマ。1981年から1987年まで7シーズン全146話が放送された。エミー賞11部門で計26回の受賞歴がある。
『Taxi』:サンシャイン・キャブという架空のタクシー会社の配車センターを舞台にしたアメリカのシチュエーション・コメディ番組。1978年から1982年にABCが、1982年から1983年までNBCが放送した。

●音楽的な才能とライターとしての才能、どちらが先でしたか?
○どちらも一緒に渦を巻いてた。想像譚をでっちあげたり、話を誇張したり、そういうのをいつも話していたからね。と同時に6年生のときにギターをもらって。エディ・ヴァン・ヘイレンよろしくボディにテープを貼ったりして。手づくりでスケボーの雑誌をつくったり、ギターを弾いたりしてたんだ。

エディ・ヴァン・ヘイレンのソロをたっぷりと!

●思春期に強く影響を受けたものはありますか? また、青年期に今のあなたの活動へと導くきっかけになったのはなんでしょう?
○僕はただ、ひとつのものから次のものへと動いていっただけだよ。ブレイクダンス、スケボー、ボディボード、スノーボード、野球、とね。で、同時にニューウェイブ音楽に夢中になる時期があったり。友達のデューイとふたりでトンプソン・ツインズフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドジェネラル・パブリックU2ティアーズ・フォー・フィアーズザ・キュアーを見に行った年があった。全部、同じ一年の間だよ。夢中だった。でも、ニューウェイブの前にはオジー・オズボーンアイアン・メイデンとかラットみたいなバンドが好きだったからね。だから、あるフェイズから次のフェイズに、という感じでね。いつもそうだよ。


上から下へ!


●ひとりで映画館へ行くようになったころに大好きになった作品はありますか?
○『フットルース』は自分にとって影響大だった。ほかに『ナチュラル』『ベスト・キッド』『ロッキー4/炎の友情』『ルーカスの初恋メモリー』もね。これらはすべて救済についての映画なんだ。敗者・弱者の物語でね。最後に勝つのは負け犬なんだ。自分が負け犬であるっていう考えに取り憑かれてたんだね。いつか一発逆転するっていう感覚が好きなんだ。センチメンタルな戯言かもしれないけど、好きなんだよね。

ロックもダンスも禁止された町に都会から転校してきたレン……。

ネブラスカの天才野球児ロイがシカゴへと旅立ち……。

不良グループ「コブラ会」に狙われた転校児ダニエルのカラテ修行……。

●あなたのことを初めて知ったとき、個人的にはジョナサン・リッチマンやマイケル・ハーレーが大好きだったのですが、あなたには彼らとつながる魅力があって一度で忘れられない存在になりました。でも、彼らはイーストコースト出身で、あなたはサンフランシスコの出身ですよね。変な形容で失礼かもしれませんが、ジョン・カサヴェテスとハル・アシュビーが仲良くなってしまうような、ありえない魅力があるように感じたんです。
○いつか、僕も誰かにとってのカサヴェテスみたいな存在になれればいいな。彼は僕のヒーローなんだ。もちろんジョナサン・リッチマンも好きだよ。天才だね。


レディース&ジェントルマン&おとっさん&おっかさん!
それではここでジョナサン・リッチマン&ザ・モダン・ラヴァーズの『New England』をどうぞ!

ジョン・カサヴェテス(John Cassavetes):1929年アメリカ、ニューヨーク生まれの映画監督・俳優。監督として『アメリカの影』『こわれゆく女』『グロリア』などを手がけインディペンデント映画の父として知られる。1989年に59歳で死去。
ハル・アシュビー(Hal Ashby):1929年アメリカ、ユタ州生まれの映画監督。監督としての代表作に『ハロルドとモード』『さらば冬のかもめ』『シャンプー』などがある。1988年、ジョン・カサヴェテスと同じく59歳で死去。
ジョナサン・リッチマン(Jonathan Richman):1951年、アメリカ、マサチューセッツ州生まれのシンガー・ソングライター 。1970年にザ・モダン・ラヴァーズ結成、1989年のバンド解散後もソロ・アーティストとしてコンスタントに活動している。
マイケル・ハーレー(Michael Hurley):1941年、アメリカ、ペンシルヴァニア州生まれのシンガー・ソングライター。60年代、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジを舞台にしたヒップなフォーク・シーンの重要人物のひとり、現在も活動を続けている。

17歳のころ、ローマ空港で『禅ヒッピー』を万引きしたこともあるしね。
3年間ぐらい、ジャック・ケルアックになりたかった時期があったんだ。

●また、あなたは中南米やヨーロッパなどぶらりと旅してまわった経験もありますね。サンフランシスコのボヘミアン気質が、自分の中に宿っていると感じますか?
○ああ、僕の父さんはリチャード・ブローティガン、ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグ、ローレンス・ファーリンゲッティ、そういったビートの連中が大好きだったからね。彼らの本を父はたくさん持っていて、若いとき、それらは自分にとってロマンティックなものだった。16歳とか、そのぐらいのころだね。うちの両親が初めて出会ったのも、サマー・オブ・ラブの時期、ゴールデン・ゲート・パークでのベトナム反戦集会でのことだったらしいし、僕は立派なサンフランシスコの子どもと言えるんじゃないかな。両親の友達もアーティストとかビート風の人が多かった。もしくはカントリー・ミュージシャンとか。17歳のころ、ローマ空港で『禅ヒッピー』を万引きしたこともあるしね。3年間ぐらい、ジャック・ケルアックになりたかった時期があったんだ。はしかみたいなもんだけどさ。

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リチャード・ブローティガン(Richard Brautigan):1935年、アメリカ、ワシントン州タコマ生まれの作家・詩人。代表作『アメリカの鱒釣り』でビート・ジェネレーションを代表する作家のひとりとなった。1984年に死亡。
ジャック・ケルアック(Jack Kerouac):1922年、アメリカ、マサチューセッツ州ローウェル出身の作家・詩人。代表作『路上』と共に、ビートの王として熱狂的な信望者を生んでいる。なお『禅ヒッピー』は彼の1957年の小説。1969年に死去。
アレン・ギンズバーグ(Allen Ginsberg):1926年、アメリカ、ニュージャージー州生まれの詩人。詩集『「吠える」その他の詩篇』で、ケルアックらと共にビート文学を代表する作家となる。1997年に死去。
ローレンス・ファーリンゲッティ(Lawrence Ferlinghetti):1919年、アメリカ、ニューヨーク州生まれの詩人。1951年、渡仏後に移り住んだサンフランシスコでシティ・ライツ書店を開業、以降、出版業も並行して行なっている。

●あなたのサイトの「Writing」のセクションに掲載されている旅行中の話がとても素敵でした。浮遊するアメリカ人としてのアイデンティティーやアイロニー、ストレンジャーとしての観察眼に溢れていて、でも、そこには孤独であることが伴うと思いますが、あなたにとって孤独とは?
○孤独も旅の一部だね。今この瞬間だって僕は孤独だ。ツアーが終わって空港からのバスに乗ってるところでね。とても孤独だよ。死にたいぐらい。友達がいるバーでも行こうかな。女性のバーテンダーなんだ。お店に入って彼女を妻にしたい。でも彼女は既婚者なんだよね。という風に、僕は今この瞬間とっても孤独なんだ。

●ちなみに、バスや地下鉄、飛行機、あなたの好きな交通手段は?
○車を運転することかな。

●アルバム『Longtime Companion』の中の1曲「Children of the Beehive」が 清水宏監督の映画からとられたものだということや、あなたが小津安二郎映画が大好きだと知ってすごくコーフンしたのですが、しかもフェイバリットに『生まれてはみたけれど』を挙げていましたね。この映画の正式なタイトルは『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』なんです。『大人の見る繪本』とは、まさにあなたにも相応しい言葉だと思いますが、あなたが小津映画の名作といわれる『東京物語』ではなく『大人の見る繪本 生まれてはみたけれど』を挙げていることが、とてもあなたらしいと嬉しく思いました。あなたが小津映画を好きな理由を語っていただけますか?
○「大人の見る繪本」だなんてアメイジングな副題だね。小津安二郎は僕のフェイバリットのひとりなんだ。なぜかというと彼はとても忍耐強くて、私的な映画作家だから。小津映画のスチール写真を集めた本を持ってたんだけど、どのページもマスターピースと呼べるような写真だった。スチール写真ですらそうなんだよ! 彼は達人だね。このふたりはどちらも詩的で、すべてのシーンに静止の感覚がある。退屈に思う人もいるかもしれないけど、とても実直で美しいんだ。

清水宏監督『蜂の巣の子どもたち』より





●以前『San Francisco Bay Guardian』のインタビュー(こちら)でコラボレーションしてみたいと挙げていたウエス・アンダーソンやノア・バームバックもそうですが、子供目線で大人社会の悲喜劇を描いたもので、他にあなたが大好きな映画があれば、古今問わずいくつかあげてみてもらえますか?
○ベストは『スタンド・バイ・ミー』だね。大好きな映画はほかにもあるけど、『スタンド・バイ・ミー』がお気に入りだ。

ウエス・アンダーソン(Wesley Anderson):1969年、アメリカ、テキサス州ヒューストン生まれの映画監督・脚本家。主な作品に『天才マックスの世界』『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』『ダージリン急行』『ファンタスティック Mr.Fox』など。
ノア・バームバック(Noah Baumbach):1969年、アメリカ、ニューヨーク生まれの映画監督・脚本家。主な作品に『ベン・スティラー 人生は最悪だ!』『フランシス・ハ』など。ウエス・アンダーソンの『ファンタスティック Mr.Fox』の脚本も担当している。


最後に『スタンド・バイ・ミー』から。

 さてさて、ソニー・スミスのインタビュー、この後、今回の東京公演にご協力いただいている「Monchicon!」に場所を変えて後編に続きます。こちらからどうぞ。