2012/01/13

レイチェル・ダッドが見た2011年の日本

先日の旧グッゲンハイム邸でのライブより。スティールパンにICHIくん、コントラバスに稲田誠さん、
パーカッションに山路智恵子さん、クラリネットに亀井奈穂子さんを迎えて。

さて、レイチェル・ダッドが1月2日に自身のブログにアップした記事(こちら)を以下に訳してみました。彼女が昨年から日本で過ごす中で体験したもの、感じたことがまとめられています。今、レイチェルは日本の女性アーティストたちの紹介記事をイギリスのあるウェブサイトに依頼されてまとめているそうです。それも記事が書き上がったら、いつか何らかの方法で訳して紹介できるといいなと思っています。ともあれ、2011年にレイチェル・ダッドが見た日本をお届けします。

個人的な年頭所感あれこれ:日本の反原発運動と音楽、集うことのパワーについて

新しいカレンダーの1年に向けて、私たちは365.25日のつま先旋回をしてきました。さて、私の個人的な考えをあれこれアーカイブして、振り返って熟考し、将来に備えるときがやってきました。

多分、このブログは自分の考えをとどめておく試みなんだと思います。苦闘と変化のときにある日本、そして全世界を貧乏旅行中のイギリス人女性による。

繰り返し頭に浮かび続けたテーマの多くは、もちろん地震と津波の余波にある日本と関連があるものでした。生命の喪失、人々がお互いに見せ合う親切心や思いやり、そして、福島原発が海中や大気中、土壌中へ放射性物質を流出させる一方、多くの人が抱く反原発感情の高まりについて。


原子力発電と日本

そもそも日本には、その原子力の歴史が始まった時点から当然常に強い反原子力の気運がありました。約21,000人の命を奪った原爆による大量虐殺は今でも生々しい記憶としてあるのです。

アイゼンハワー米大統領が1953年に「平和のための原子力」を演説して後、日本政府も原子力発電を取り入れてきました。地震が引き起こす事故の可能性にもかかわらず、今では原子力発電は電力の30%を占めています。

2007年、原子炉にダメージを与えたマグニチュード6.8の地震があり(訳注:新潟県中越沖地震と、それに伴う柏崎刈羽原子力発電所での事故のことだと思われる)、原子力発電に反対する声が高まりましたが、それも日本政府と電力会社の「原子力は安全」とするキャンペーンに鎮圧されてしまいました。2007年の事故以来、東京電力(福島原発事故の責任を負う日本最大の電力会社)は原子炉格納容器の堅牢性を誇っています。

発展する日本の反原発運動

しかし世界中が見守る中、この大事故は東京電力が隠し通せるほどのものではありませんでした。そして「原子力は安全」キャンペーンもなくなり、強い反原発運動が盛り上がっています。私はしばしば「ホウシャ(放射)」という言葉を耳にしました。人々はそのことについてよく話し、彼らは自分たちの音楽やアートの中で抗議の意を表しています。また、反原発運動に集中するため、本業をあきらめた音楽家や俳優もいるそうです。


福井県敦賀市の海近くに、小さな子どものいる私たちの友達が暮らしています。そこは1981年に起きた放射能漏れ事故を40日間隠蔽するなど、一連の事故の歴史を持つ原子力発電所の近くです。最近、その施設を所有する日本原子力発電株式会社に対して住民が訴訟を起こし始めていますが、その友達は状況がそう簡単ではないことを説明してくれました。雇用のため地域社会が発電所に依存しきっているのです。経済的にうるおい、人々も(特に所有地を高値で売る地主は)新しい豊かなライフスタイルに慣れてしまいました。つまり反原発運動に対する地元の抵抗もあるのです。多くの人が変化を望んでいますが、そうではない人たちもいるのです。

名古屋での原発停止請願書とマルが作ったバッヂ

時折の風力発電の収穫、ゆっくりとでも増大している?

テレビで流されるドキュメンタリーと広告が太陽光発電キャンペーンの発展を示している

私たちはそこまでタフだろうか?

私はまだ漢字が読めません。だからとり逃していることも多いでしょう。それでも時々カフェやお店で「節電」のポスターを目にします。これは私たちみんなが持つべきすごく理にかなったアイデアではないでしょうか? 私たちは贅沢と快適さに囲まれて育った怠惰な世代ではないでしょうか? 私たちはこういったガジェットの全部を持たせようとする電力会社に簡単に操られているのではないでしょうか? 私たちはこういった不必要なガジェットのスイッチを今すぐオフにすべきじゃないでしょうか?

カチッ。
(卓上ランプを消す)

ポンポンポン。
(ラップトップの画面の明度を下げる)

ガンバッテ。
(さあレイチェル、頑張って)

(一例として)政府がパチンコの会社を促して、電気を暗くし、消費電力を抑えさせるべきではないでしょうか? パチンコは日本において最大の金満企業のひとつですが、と同時にコンビニエンス・ストアが追走する最大のエネルギー消費企業のようにも思われるのです。これは単なる私の推測ですが。

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パチンコの会社は政府に大きな影響力を持っている?

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考える
考える

多くの人が考えている


ポジティビティ、連帯感、音楽

地震の日以来、日本で私は人々がお互いに表わす親切心や思いやりに接してきました。お互いを助け合おうと音楽やその他の活動を通してもたらされたもの、変化を求める我々が必要とするものを勝ち取ろうともたらされたものを。一方、日本は生活するには危険な場所となってしまいましたが、それでも、私はこの地にとどまることを強く望むようになりました。それは、日本人の親切心や連帯感、ポジティビティのためです。

日本での体験を通して、親切心、思いやり、忍耐、協力、ポジティビティといった日本人の価値観を私は今まで以上に理解できるようになりました。多分、これらの特質は、いくつもの自然災害、人的災害を乗り越えるために日本人の精神性に深く染みこんだ特色なのでしょう。それとも、これらは単純に集団におけるバランスとりの役目を果たしているのかもしれません。これだけの甚大な被害と悲しみがあっても復興しようと集まって協力する欲求とでもいうような。


光栄にも一緒に演奏し録音をする機会を持てたベース奏者の稲田さんには5人の子どもがいて、日本全体にとってこの原発の状況がいかにひどいものであるかを教えてくれました。それはまるでみんなの上に重く垂れ込める暗雲のようなものだと。そして、確信に満ちた声で音楽の重要性を話してくれました。

津波の翌週、私は稲田さんと、テニスコーツ、川手直人、地震と津波で壊滅的な被害を受けた仙台出身の驚くべき即興パーカッショニストである山路さんを含めた一群のミュージシャンとふたつのコンサートに出演しました。そのコンサートは大阪に避難した彼女の友達を歓迎するために催されたものであり、家を失ったその友達へのベネフィットでもありました。そのイベントもまたシンプルに皆で集まり、共有し、何か前向きなものをつくるものでした。私たちはさまざまなグループでセッションしました。稲田さん、山路さん、ポポのトランペット奏者の信紀さん、そして仙台から来た9歳の女の子と一緒に演奏しました。その演奏に参加できたことは、私にとってとても特別なことでした。その経験のおかげで私は音楽の大切さを今まで以上に気づかされました。音楽は私たちが集まったり、いろいろな考えや感覚をシェアする助けになるのです。また、音楽は人々が悲しみ、理解し、受け入れることを促します。音楽は力とポジティビティを創造するのです。こうやって何千年もの間、世界中で音楽が鳴らされてきたのでしょう。

旧グッゲンハイム邸のテニスコーツ、津波翌週のコンサート

ICHIと私は、反原発キャンペーンのサポートとして仙台で2月に開催される「おとのわ」でテニスコーツやユンボと出演します。

梅田哲也(パフォーマンス・アーティスト/音楽家)。津波翌週、大阪でのパフォーマンス

津波直後の京都ユーゲにて、川手直人とみちこ

旧グッゲンハイム邸にて。山路さんが新しく発明したパーカッション(風船の中にビーズが入っている)で遊ぶ。

D.I.T─ドゥ・イット・トゥギャザー

私はずっとDIYの信奉者でした。学校では本当に必要なことを教えてくれません。だから、自分がやりたいことをするためには自分で技術を磨き、道具を見つけなくちゃならないからです。友達や同年代の多くも、それぞれの人生において、そういった考えを持ったようです。

今に至るまで、私はほとんどひとりで仕事をしてきました。しかし、この時代の空気感を受けて、私は人と力を合わせ、みんなでやることが大切なように思えてきました。コミュニケーションやシェアリングといった良き経験のためだけでも。人と力を合わせたり、技術やアイデアを共有することから得られるものはとても大きいように思います。日本でもイギリスでもどこでも、最近、活動の中心に据えようと決心したのはコラボレーション活動なんです。ついに郵便を最大限に活用するときがきました。

1月─おにぎりレシピ交換

年が明けて私がやっていることのひとつに、自分でつくったおにぎりのレシピを郵便で送り、相手がつくったおにぎりの写真を送り返してもらう、というものがあります。今日はロージー・プレインから写真が届きました。いいわね、ロージー! もし、この試みに参加したい方がいらっしゃったら、ぜひ住所を「rachaeldadd@gmail.com」まで送ってください(多分1月末までで終わりますが、それ以降も気軽にコンタクトしてください。もしかして、ということもありますよ)。

おにぎり─サンドウィッチよりベター

6月─ユートロフィア展、ロンドン

6月、ロンドンのユートロフィアでICHI、ロージー・プレイン、フランソワ、ディス・イズ・ザ・キットのケイトとジェシとのグループ展が開催されます。参加作家はこれからまだ増えるかもしれません。私たちはワークショップと技術交換会、また、自分たちのさまざまなプロジェクトを紹介し、コンサートも開催します。詳細は随時お知らせします。

日本で知恵を出し合って

日本では、稲田さん、山路さん、それからとあるヒューマン・ビートボクサーなどなどとのコラボレーションだけでなく、3月にこちらで開催予定の展示会に向けて、いろんな友達とテキスタイルのコラボレーションもやっています。それに最近、ニュージーランド出身の新しい友達のデヴィッドとクラリネットの演奏も始めました。彼も、私と同じような理由で日本と恋に落ち、何度も何度も来日しています。20年前にグラフィック・デザイナーとして活動を開始し、展示会をしたり、東京でオルタナティブな音楽会場を運営するアート&デザインの集団を組織していたデヴィッド。都市生活に幻滅し、そんなこんなで彼は鎌倉の山中に引っ越して「田舎デラックス」という地方集団を始めているのです。彼からは自身の旅のこと、パーマカルチャーの一形態を学んだこと、ミツバチについて、粘土オーブンをつくったこと、子ども向けと大人向け両方の音楽/アートのワークショップをやっていること、津波の被災地でやったいろんなことを聞かされました。とても刺激を受ける人です。彼が最近言ったことで、ずっと印象に残っている言葉があります。それは、こんな時代にはみんながチェンジ・サーファー(訳注:変化を乗りこなす人間というような意味か)にならなきゃならないということでした。楽しそうですよね! 2012年から先、私たちは柔軟でいなくちゃと思うんです。

田舎デラックス

チェンジ・サーファーたち