2011/11/16

Introducing Karla Schickele 1


2008年、スウィート・ドリームス・プレスはアイダの初来日を記念して『勇猛果敢なアイダのものがたり』というCD付きの書籍を発行しました。その本は、アイダのメンバーやバンド関係者のインタビュー、メンバーが影響を受けたレコードのリスト、ディスコグラフィや評論などで構成していて、シークレット・スターズのジュディ・ボナーノの感動的な思い出話やマイケル・ハーレーがあの伝説的なコミックをその本のために描いてくれたことなど、今でも思い出深い1冊(枚)だったりします。

そして僕はその本を抱えて、行商よろしくアイダのツアーの約半分について行ったわけでした。ちなみにマップのときに2度目に企画した招聘がタラ・ジェイン・オニールとアイダのダニエル・リトルトンだったこと。そのときにちょうどアイダのプロデューサーとしても有名なヒズ・ネーム・イズ・アライヴのウォーン・デフィーヴァーが日本に滞在中だったこと。さらに数年後、タラ・ジェイン・オニールの何度目かの来日メンバーとして、元アイダのミギー・リトルトンを連れてきたこと。マップではダニエル・リトルトンの妻であるエリザベス・ミッチェルのキッズ・アルバムを2枚リリースしていたこともあるし、ともかく何かと縁があるバンドだったわけで、そのファミリーとしての広がりをいつか一冊にまとめることはアイダの来日が決まる前から頭の隅にいつもありました。

ともあれ、アイダが来日してメンバーと一緒に行動を共にする中、ベース/ピアノのカーラ・シックリーが1枚のCD-Rをくれたのでした。それは、既に2枚のアルバムを出していた彼女のソロ・プロジェクト、k.の録音したてのニュー・アルバムとのことでした。タイトルは「Ghost and the Other Swimmers」。最初に聴いたときからとても印象のよいアルバムで、この3年ほど何度も何度も何度も何度も聴き続けたアルバムになりました。でも、その間アメリカでリリースされる気配はありませんでした。

ある日、カーラにメールで「あのアルバム好きなんだけど誰も出さないの?」と訊くと、特にリリース予定がなくまだマスタリングもしていないとの答え。というわけで、ひょんなことからスウィート・ドリームス・プレスでそのアルバムをリリースすることにしました。タイトルこそ『ヒストリー・グロウズ』になりましたが、僕がずっと聞き続けてきたアルバムと同じものです。リリース日は12月15日、今、ジャケットのデザインをいろいろ試しているところですが、まずはカーラ・シックリーなる女性の人となりを知ってもらうために、先述の『勇猛果敢なアイダのものがたり』に掲載したインタビューの完全版を、以下にお蔵出ししてみます。

それでは、k.(カーラ・シックリー)の9年ぶりとなるアルバム『ヒストリー・グロウズ』をぜひご期待ください。きりっと冷えた街の歌のアルバムです。


■まず、あなたの子供時代のこと、それからあなたのご家族のことを教えて。あなたの父親のピーターPDQバッハという架空の人物を作り上げた作曲家なんですよね。そういうユーモラスなアーティストを父親に持つ気分ってどんな感じですか? また、そのことがあなたの音楽や、そのほかの活動に影響を及ぼしていると思いますか?
□いつも音楽がかかっている家で育ったのはラッキーだったと思う。わたしの両親はどちらも、いろんな音楽が大好きでね。ポップも、クラシックも、ジャズも、フォーク、ブルーグラス、カントリーやソウルも。それに、自分たちが好きな音楽を人と分かち合うのに熱心な親だった。父は「シリアス」な作曲家だけど、PDQバッハという喜劇的なキャラクターを創出した人でもあるの。それに『シックリー・ミックス』っていう、何でもかけるラジオ番組のホストもしていたわね。彼はコメディをすごくシリアスに捉える一方で、シリアスな音楽に対するアプローチ方法には、いろんな遊びを盛りこんでいた。彼を通して、作っている音楽がファニーなものじゃなくても、ユーモアを忘れないことの大切さを学んだんだと思う。

■ベースを手にしたきっかけ、歌いはじめたきっかけを教えてください。若いときに入れ込んでいた音楽は?
□歌うことは私の人生の基盤みたいなものね。だから、歌い「はじめた」って感覚はないの。ただ、いつも歌っていたのよ。で、ティーンになって、なにか楽器を弾きたくなったの。最初にギターを試してみたけど、あんまりピンとこなかったのね。で、良いベース・ラインって、目立たないけど曲の感触を微妙に変えたりするでしょ? エルヴィス・コステロのジ・アトラクションズにいたブルース・トーマスみたいな、メロディックなベース・ラインが大好きだったの。それで、自分の18歳の誕生日プレゼントにベースをおねだりしたのね。それからベースを弾きはじめて今日までずっと弾いてきたの。1日に100万時間も練習するタイプだったことはないけれど、それ以来、ずっとバンドでベースを弾いてきたってわけ。若かったころ、いろんなポップやロックが好きで聴いていたけど、とくにメンバーに女性がいるってだけで昔はそのバンドのレコードを買っていたわね。そうやって、いろんな素晴らしい音楽を発見していったの。いま、思いつくのはザ・モデッツとかね。すぐに解散しちゃったイギリスのガールズ・バンド。注目されることはなかったけど、最高のバンドよ。

■アイダのダン・リトルトンやエリザベス・ミッチェルと出会って、1996年にアイダに加入したいきさつは? 一番最初のライブ、もしくはリハーサルを覚えていますか?
□1996年、アイダにはパーマネントなベーシストがいなかったのね。だから、彼らはツアーやレコーディングの度に他のバンドからベーシストを雇っていたの。で、私のプロジェクトだったビーキーパーから私も雇われたわけだけど、一緒に歌いはじめたり、曲を作ったり、公演を重ねていくうち、お互いの相性が本当に良くってね。で、フル・タイムのベーシストになったのよ。しばらくは、掛け持ちでやっていたんだけど、すごく大変で。そうこうするうちにビーキーパーは解散して、アイダが私のメイン・バンドになったの。最初にアイダで弾いたときのことはよく覚えているわ。ダンとリズと、彼らのアパートで2~3回、楽しいリハーサルをしたんだけど、それからふたりはミギーと一緒に西海岸へ家族旅行に出かけていったのね。数週間後、私も西海岸に飛んで、ロスアンジェルスの街角で彼らと合流したの。私を迎えにきてくれて、1回、リハをしたその夜に、最初のライヴをやったんだけど、めちゃくちゃ緊張しちゃったわ! で、翌日には次のショー、そのまた翌日には……。そうやって2008年のいまも、わたしはアイダにいるというわけよ。

■アイダでの活動で一番面白かった思い出は?
□おかしな思い出なんてたくさんありすぎてひとつに絞りきれないなあ。でも、パッと思いつくのは、ニッティング・ファクトリーでフリートウッド・マックの『Tusk』を全曲カバーしたときのこと。ダンがスティーヴィー・ニックスになりきってて、めちゃくちゃ楽しかったの。たしか2004年だったはず。

■アイダから特別な精神性や態度を学んだとしたら、それはどのようなものだったでしょうか?
□難しい質問ね。単語をずっと並べることしかできないかも。まじめさ、楽しさ、注意深さ、自発さ、思慮深さ、調和、折衷的であること、そして忍耐強さね。

■あなたは以前、ミギー・リトルトンとビッグ・ディールというレコード店を経営していましたよね。どんなお店だったのでしょうか? また、レコード店を運営する中で、あなたが好きだったのはどんなところでしたか?
□ビッグ・ディールはクレイジーな試みだった。基本的に、他の仕事に就かずにフルタイムで音楽ができるように家賃の安いところを探していたのね。ミギーには、スリフト・ストアで古いレコードを漁って人が欲しがってるレコードを見つける天性の素質があったから、お店を借りるのって良いアイデアに思えたのよね(しかも、借り賃がアパートより安かったの)。で、お店に住んで、もちろんレコードが中心だったけど、タラ・ジェイン・オニールやザ・クリーンのハミッシュ・キルゴアなんかの絵も売ったりしてたの。あと、これは私の受け持ちだったんだけど、ヴィンテージ古着も扱おうと思って、でも、私にはそっちのセンスがなかったのよね。中途半端で終わってしまって。レコードの方は人気があって、数年の間、週末になると人でいっぱいだったの。1日中、誰かがレコードを見ていてね。これが、お店をやっていた上で好きなことでもあり、そうじゃなかったことでもあり。面白い人がいるっていうのは素晴らしいことだけど、でも、時にはひとりになりたいじゃない?

■最近の音楽活動について教えてください。あなたはウィリー・メイ・ロック・キャンプ・フォー・ガールズのエグゼクティブ・ディレクターとして働いていますよね? それはどのような役職なのでしょうか? また、ロック・キャンプのどのような点に魅力を感じたのでしょうか?
□いまは、そんなに音楽活動をしていないのよね。エメットとオーギーっていうふたりの息子がいるから、自分の時間はほとんど彼らと一緒にいるの。アイダ以外では、いまでもk.としてライヴをやることもあるし、ちょうどk.のレコーディングが終わったところなの(編注:『ヒストリー・グロウズ』のことだと思われる)。それから、ウィリー・メイのロック・キャンプ・フォー・ガールズで忙しくしているわね。私たちの使命は、少女と若い女性に音楽を演奏することを通して自信を持ち、ともに作業する機会を設けることにあるの。オレゴン州ポートランドで開催された最初のロック・キャンプ・フォー・ガールズにボランティアとして参加して、そのエネルギー、音楽、そして、他の女性と一緒に働くことが大好きになったのね。で、ニューヨークでも、そのロック・キャンプをはじめたくなったの。いまでは、世界中いたるところでキャンプが開催されているのよ。スウェーデン、ロンドン、ベルリンにも。日本はいつになるのかしら?